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起業するということ⑯

/未分類

少し昔を振り返ってみて、なぜ独立しようと思った

のか、いつ頃からそう思い始めたのか、について記

してみる。

子供のころの私は、だれよりも手を挙げて、先生に

あてられることを喜びとしていて、あてられてから

前に出て黒板に書きながら答えを考える、という

子供だった。長い計算式でも結局は正解にたどり着く

という不思議なところがあった。

母がよく言っていた「先生から、〇〇君は学級委員長

推薦にいつも名前が上がるのに、いつも2番目です。」

「もっとまじめにやるように言ってください。」と

言われたと。

高校の時は担任の先生に「〇〇部の監督から相談を

受けた。下級生が皆〇〇先輩が一番うまい、と言って

いるのに、まじめに練習しないので困っている。」と。

このように何故か世間を斜めに見ていて、ふざけて

ばかりの大バカ者だったのだ。ただ、小学校の担任

からは「この子は将来、大物になる。」と言われたと

母が言っていた。子供のころから何故か厭世的で、

小林秀雄に憧れているような変わった子だったのだ。

そして大学受験の時を迎える。 ⑰につづく。

起業するということ⑮

/仕事

台湾でのセミナーや展示会の開催を続けた結果、福井

県産木材を2022年、初めて大阪港より直接輸出

することに成功した。自社で20fコンテナをチャー

ターし、県産杉材を20㎥、台湾台中港へ向けて輸出

することに成功したのだ。2018年に台湾への県産材の

輸出を夢見て、試行錯誤しながら失敗を繰り返して

きた。台湾を目指した県内の木材業者たちは、次々に

「コロナ禍の中、海外へ県の木材を輸出するなんて、

無理だろう。」と言ってあきらめていった。

ただ、私は全くあきらめる気などなかった。それどこ

ろか台湾人の建築に精通した高度専門職の人材を、

採用し、ますます台湾進出へと向かっていった。

この違いがその後の輸出の成果に大きく影響した。

「取り組んだら離すな、殺されても離すな、

  目的完遂までは。」

この言葉が、私の頭の中でグルグル回っている。

このしつこさこそが、起業家にとっての、

絶対条件なのではないだろうか。 ⑯につづく