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起業するということ⑲

/未分類

大学には近かったため、1年のころはよく授業に出て

何故か体育の授業があり、バレーボールをやったり

して、まるで高校の延長みたいな楽しさがあった。

1980年、東京は空前のサーファーディスコブーム、

竹の子族やハマトラ、ドネイのラケットを持って

代々木公園でボルグをまねて、テニスを楽しんだ。

丘サーファーの私は、毎週のように新宿、渋谷

六本木のディスコに入りびたり、始発で帰る

ことも多かった。しかも大学近くの大型雀荘に

アルバイトで入って、知らぬ間に店長として店

を仕切りながら、自分もマージャンを打っていた。

店長の責任感から、大学に行く昼間も雀荘で働く

生活が標準化してしまい、次第に大学から足が

遠のいていった。 ⑳に続く。

起業するということ⑱

/未分類

1980年春、東京での大学生活が始まった。

その頃の福井と東京では、外国に来たのでは、と

思うほど、すべてが違っていた。大学は小田急線の

向ヶ丘遊園駅から徒歩12,3分の小高い丘の上に

あり、私はその中腹の大学近くのアパートでひとり

暮らし。大学は楽しく、高校のように少人数での

クラス分けがあり、すぐに友達ができた。

さすが東京の大学、岩手から山梨、愛知、徳島、

香川、静岡、山口、鹿児島、高知と関東以外から

の学生たちも多く、いっぺんに友達になり、多く

の方言を聞き、風習、文化の違いに驚かされた。

福井の田舎者が、東京のバブル期の浮かれた世界

で、自由を手に入れたらどうなるか、想像に

たやすいのではないか。 ⑲に続く。