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起業するということ㉓

/仕事

そもそも、なぜ私がこれほどまでに海外進出にこだわ

るのか、その原因について考えてみた。

私には3つ上の姉がいて、いつも「スクリーン」という

海外映画雑誌を購入していた。中学生になったころから

私も釣られてよく読んでいた。欧米の映画の1シーン、

1シーンが遠い世界の輝く憧れの画像として、強く

印象に残り、いつしか海外の広い世界で活躍したい、と

単純に憧れを抱くようになった。特に「スティング」

のロバート・レッドフォードが好きで、それ以来、

ブルーのシャツを好んで着るようになった。海外志向

への動機は非常に単純で、日本人として対等に外国の

人たちと渡り合って、日本の魅力を海外の人たちに、

広めていく仕事をしたい、と中学時代には心に決めて

いたのだ。だから、カーボンニュートラル、とか

脱炭素社会の構築、とかは社会人になってから意識

し始めたことであり、そのスタートは割と単純な

海外の世界へのあこがれに他ならないのである。

「華麗なるギャッツビー」の映画のように、華やか

な世界に憧れ、カッコいい大人になりたかった。

「なりたい自分になる」、この生き方は自分の中で

常に一貫して貫いている軸となっている。

㉔に続く。

起業するということ㉒

/仕事

東京虎ノ門での新社会人生活はなにより楽しかった。

1984年の東京はバブルに浮かれ、上司や先輩も

非常に羽振りがよく、毎週飲み会三昧、お中元

にはお得意様に夕張メロンを配り、展示会は

ニューオータニに全国から取引先を招待し、

ヨーロッパのベルベットやシルクタフタ、

レオナールのプリントなど高級服地が飛ぶ

ように売れていた。

その会社の社長は、大手商社のやりて営業マン

だった人物。自分の得意先をもって独立したのだ。

おしゃれな人で、同じ鉄紺のスーツを5着仕立てて、

月曜から金曜、毎日違うスーツを着てくるような人

だった。社長室に入るとき、ドアを2回ノックして

入ったら、「小澤君、それはヨーロッパではトイレ

ノックだよ。」と、きれいな東京言葉で怒られた。

そのカリスマ性、スノッブな雰囲気は、若い私に

大きな影響を与えた。   ㉓に続く。