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起業するということ㉒

/仕事

東京虎ノ門での新社会人生活はなにより楽しかった。

1984年の東京はバブルに浮かれ、上司や先輩も

非常に羽振りがよく、毎週飲み会三昧、お中元

にはお得意様に夕張メロンを配り、展示会は

ニューオータニに全国から取引先を招待し、

ヨーロッパのベルベットやシルクタフタ、

レオナールのプリントなど高級服地が飛ぶ

ように売れていた。

その会社の社長は、大手商社のやりて営業マン

だった人物。自分の得意先をもって独立したのだ。

おしゃれな人で、同じ鉄紺のスーツを5着仕立てて、

月曜から金曜、毎日違うスーツを着てくるような人

だった。社長室に入るとき、ドアを2回ノックして

入ったら、「小澤君、それはヨーロッパではトイレ

ノックだよ。」と、きれいな東京言葉で怒られた。

そのカリスマ性、スノッブな雰囲気は、若い私に

大きな影響を与えた。   ㉓に続く。

起業するということ㉑

/未分類

そんな学生生活だったが、なぜかうまい具合に単位だ

けはとれていたため、留年することもなかった。そし

て、4年生になり、卒業後のことを考えた。私は福井

の田舎の長男坊、必ず家を継ぐ運命だと思っていた。

なので、福井へ帰る前に1度だけ、東京の会社で働き

たかった。

しかも優良企業に入ってしまうと、おそらく東京に

残りたくなってしまうので、小さな貿易関係の会社

を選んだ。それは虎の門にあった輸入婦人服地を

扱う貿易商社だった。やはり、無意識に東京から

次は世界を目指していたのだ。 ㉒に続く。