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起業するということ⑯

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少し昔を振り返ってみて、なぜ独立しようと思った

のか、いつ頃からそう思い始めたのか、について記

してみる。

子供のころの私は、だれよりも手を挙げて、先生に

あてられることを喜びとしていて、あてられてから

前に出て黒板に書きながら答えを考える、という

子供だった。長い計算式でも結局は正解にたどり着く

という不思議なところがあった。

母がよく言っていた「先生から、〇〇君は学級委員長

推薦にいつも名前が上がるのに、いつも2番目です。」

「もっとまじめにやるように言ってください。」と

言われたと。

高校の時は担任の先生に「〇〇部の監督から相談を

受けた。下級生が皆〇〇先輩が一番うまい、と言って

いるのに、まじめに練習しないので困っている。」と。

このように何故か世間を斜めに見ていて、ふざけて

ばかりの大バカ者だったのだ。ただ、小学校の担任

からは「この子は将来、大物になる。」と言われたと

母が言っていた。子供のころから何故か厭世的で、

小林秀雄に憧れているような変わった子だったのだ。

そして大学受験の時を迎える。 ⑰につづく。

起業するということ⑭

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JETROの専門家から、日本台湾交流協会が「日台

産業交流架け橋事業」という、台湾での商談会や

展示会、セミナーへの助成事業を実施していると

の情報を得て、さっそく申請の準備を進めた。

申請書を仕上げて提出し、面接を受けて、1か月後

採択通知が届いた。過去に木材関係、福井県での

採択は初めて、という画期的な採択であった。

協会からの手厚い助成を受けて、それからの3年間

嘉儀市、嘉儀県、台北市での展示会、セミナー、

商談会を開催し、嘉義市長、文化局局長、台湾

国政府の方々、嘉義大学、高雄大学の学長、雲林

科技大学の先生方、嘉義木材公会の皆様、逢甲大学

の先生方、設計士の皆様、との人的関係が深まって

いった。この活動が、台湾でのTVや新聞等のマスメ

ディアに大きく取り上げられ、日本でも新聞記事と

して掲載され、大きく注目された。⑮に続く。